
スイス人医師ジュノーは、第二次大戦末期、赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表としてシベリア経由で日本に向かう。その途中、旧満州の日本軍捕虜収容所で米軍将校ウェンライト中将と接見。戦後、このつながりが生きた。GHQ最高司令官マッカーサーから人道的物資を得たのである。
被爆1か月後の9月8日、米軍医薬品15トンを携えた米軍機6機で広島に入る。1万人の傷病者の1か月分相当の医薬品を広島市民に届けるという考えられない事が起きた。しかし、ジュノーは長崎入りはできていない。ICRC副総裁となるジュノーは57歳という若さで亡くなるまで「人類は核兵器を使用して破滅するか、核兵器を廃絶するかの選択である」と訴え続けた。
政治的中立を掲げるICRCが、どのような論理で核廃絶を訴えたか。ジュノーの例から世界で支援活動を行う団体の論理を学ぶことができる。