
良心的兵役拒否など絶対的平和主義のクェーカー教徒シュモーは人道支援家であり、支援者に戦争の惨禍を発信し続けた。占領軍内部のクェーカー人脈を駆使して1948年念願の来日を果たす。当時の皇太子の家庭教師だったエリザベス・ヴァイニングもクェーカーで、皇室サイドとも交信した。 皇室のお墨付きも得て、広島入りしたシュモーは現地で歓迎を受ける。占領下での広島入りの方法とは何かを理解できる。そして、日米の様々な人々の協力を仰ぎながら、ボランティアで家を建て、人々は「シュモーハウス」と名付けた。「互いを理解し、家を建てることによって、平和が訪れることを望む」。シュモーは後に長崎でも家を建てている。 戦争の惨禍を経て、憎しみを超え、敵味方の和解とは何かを考えることができる。