第二次世界大戦中は従軍記者として名をはせたハーシーは、米軍とのコネクションを生かし1946年5月広島入りする。そこで、牧師・谷本清と出会い、英語での書簡を交わし、凄まじい被爆体験に触れた。帰国後、雑誌「The New Yorker」の編集長と接触、20世紀ジャーナリズムの金字塔と言われる「HIROSHIMA」が出る。この出版にはリスクを伴うため秘密裏に行い、家族も大都市から地方に避難させていた。
ハーシーの「HIROSHIMA」の発表によりアメリカ社会に衝撃が走った。これに対抗するため、戦争中の米軍制服トップ、ヘンリー・スティムソン陸軍長官による論文が発表される。「原爆投下で100万人アメリカ兵が救われた」、この現在も続く、原爆投下の正当性の論理が形成されていくことになる。一方で、ハーシーは米ジャーナリズムの主流から距離を置き、長らくHIROSHIMAは忘れ去られる。
分野 | 人文・社会科学
ヒロシマ被爆の実相 惨禍でのジャーナリストとアメリカ ~ジョン・ハーシー(1914-1993)~
人類史上初めて実戦で原子爆弾が投下された広島と長崎。しかし、被爆による死者数や被害の実態は、日本がアメリカ占領下となる1945年9月以降、日本で報道することが禁止された。占領政策に支障をきたすとの理由からだ。こうした中で、世界にいち早く発信したのがアメリカ人など欧米からのジャーナリストだった。占領軍の許可を得て現地に入った彼らは、その惨状を目にし、当局の反発を覚悟で実態を伝えていく。
従軍記者だったジョン・ハーシーは、1946年8月に「The New Yorker」誌で被害実態を初めて伝えた。アメリカ社会に衝撃が走り、「原爆投下でアメリカ兵100万人の命が救われた」という米政府の公式見解が作られていく。原爆被害の実相を伝えることはまた、ジャーナリズムの役割、体制側とメディア側との葛藤、個々人の良心とは何かを考えるケースとなる。
このプログラムは、被爆の発信に関して、日本の公共放送NHKの国際放送部門であるNHK WORLD-JAPANの番組映像を見ていき、ジャーナリズムの役割、米政府などの体制側の対応の虚実、個人の良心などの問題への理解を立体的に習得していく。
Content/学習内容
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Designated TV Programs: NHK WORLD-JAPAN "Hiroshima Revealed" (2015)
Staff/スタッフ
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- 講師
ロバート・ジェイコブス広島市立大学教授 -
- コンテンツ制作
髙井 孝彰国立大学法人筑波大学 広報局次長
Specal Thanks:
Hiroshima City University|Robert Jacobs|Hitoshi Nagai
Cannon Hersey|Taku Nishimae
Hiroshima Peace Memorial Museum|Ryo Koyama
Hiroshima Nagarekawa Church|Mareo Mukai
Koko Kondo|George Burchett
Kumiko Ogoshi-Takai|Yoshiaki Yoshizawa
The Chugoku Shimbun
The U.S. National Archives and Records Administration
Competency/コンピテンシー
- 想像力
- 状況把握力





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